6年間の学生時代に自転車で30,000km以上走った俺のチャリダー歴

かたぴ

みなさんこんにちは。かたぴ(@katapi1103)です。

この記事では俺のチャリダー歴を紹介します。

大学生のときにチャリダーとしての自分が出来上がったのは間違いないのですが、よくよく振り返ってみると、

「小さい頃からチャリダーになる素質があったな」

という思いがあります。

MEMO

チャリダーとはチャリんこライダーの略。
要するに自転車乗りですw

幼少期~よく道を覚える~

子どもの頃は親が運転するクルマでよく色々なところに連れていってもらいました。

そのときの特徴が、俺は道を覚えるのがとても得意だったということ。

  • ○○という交差点を左に(右に)曲がる
  • ◆◆へ行くには国道☆☆☆号線をひたすら進む
  • ◎◎という観光地へ行くには高速道路の△△というインターチェンジで下りる

今となっては親をクルマでどこかへ連れて行くことも増えましたが、
「よく道を覚えてるねぇ」
は毎回のように言われますね。

MEMO

この能力は後にクルマの免許を取ったときにも活きました。

自主経路という自分でルートを組む教習があるのですが、あれで苦労するという人の気持ちが分からないレベルで道を覚えるのが得意です。

中学時代~往復20kmの冒険~

中学二年生のときに最初の転機が訪れます。

一人で練馬区から高田馬場まで自転車で行ってみました

距離にしておよそ往復20kmほど。

今思えば全然たいしたことのない距離なのですが、当時の俺からしたらこれは冒険でした。

  • 一人だから助けてくれる人はいない
  • 喘息持ちで体力も乏しい
  • 携帯電話はまだ持っていない
  • お金も少ししか持っていない
  • 自転車も内装三段のごく普通のシティサイクル

じゃあなぜ行ってみたのか?

それは、自分の力で行ってみたかったからです。

今まではどこか遠いところへ出かけるにしても、親が運転するクルマや、電車に乗って行くのが常でした。
言い換えれば、誰かに連れて行ってもらっていた、ということです。

練馬から高田馬場へ行くためにはひたすら目白通り(都道8号線)を東へ進むわけですが、全体的に交通量が多く、アップダウンの激しい区間もあります。

確かにあのときはキツかった。
それでも自分はケガなく無事に行って帰ってくることができました。

このとき俺は思ったワケです。

「なんだ、自分の力でも結構遠くまで行けるじゃん」

高校時代~往復60km×2日の冒険~

高校生のとき、夏の甲子園の予選の応援に行くことになりました。

俺の高校は西東京大会のグループ。
その日の予選の開催球場は上柚木公園野球場でした(京王線の南大沢駅が最寄り駅)。

結論から言うとここにも自転車で行きました。

当時、絶賛高二病を発症中だった俺はみんなと違うことがしたかったので、みんなが電車で行くなか俺だけ自転車でGO!

その距離、自宅から往復60km。

しかし、まさかの事態が。

なんと会場に着いたら天候が崩れだし、その日の予選が中止になって翌日に延期
結局何もせず行って帰ってくるだけの日になってしまいました。

そんな帰り道、ふと思いました。

「よし、明日も自転車で行くか」

シティサイクルで1日往復60kmを2日間連続。
100kmを超えたことに更に自信を付けた自分がいました。

MEMO

当時は「みんな往復で1000円以上の交通費かかってるけど、自分だけ交通費0円!俺TUEEEE!!」ってマジで思ってました。

大学時代~サイクリング部への入部~

これだけ自転車で走ることが好きだったので、大学に入ってからサイクリング部に入部しました。

本格的に走るために写真のシクロクロスバイクを購入。

このシクロクロスバイクはパーツこそ色々変わりましたが今でも乗ってますよ!
2018年の今年で10年目になる長い旅の仲間です。

サイクリング部に入ってからはホント色々走りました。
以下はその一例です。

  • 夏に9泊10日で合宿 in 北海道
  • 春に4泊5日の合宿 in 九州
  • 月一の日帰りラン
  • 17時間で東京の日本橋〜新潟県上越市まで走りきる耐久ラン(300km近く)
  • 広島から6日で東京まで帰ってくる
  • 東京から6日で北海道まで行く(青森港からフェリー)

同じ自転車で旅することが好きな仲間たちにも恵まれてとても楽しかったです。

卒業旅行~最後の挑戦~

修論発表も無事に終わった学生最後の春休み。
卒業旅行としてどうしてもやりたいことがありました。

それは大分県に住む祖父の家まで自転車で行くこと

どうしてもやりたかった2つの理由

その理由は次の2つです。

  • 自分の成長を感じたかったから
  • 亡くなった祖母の墓参りに行きたかったから

中学時代から徐々に距離を伸ばした自分の自転車での旅。

その原動力は、繰り返しになりますが自分の力で行ってみること
俺が特に思っていたのは、いつも飛行機で行っている大分県まで自転車で行ってみたいというものです。

これだけの距離を走りきれれば相当成長も実感できるし、チャリダーとなった学生生活の締めくくりとしても良いだろうと思いました。


また、この卒業旅行をする2年前に、同じく大分県に住んでいた祖母が亡くなりました。

小さい頃にだいぶ世話になった祖母です。
単純ですが、大分県まで自転車で墓参りに行ったら亡くなった祖母も喜ぶんじゃないかと。

険しい旅だったが楽しかった10日間

距離はもちろん沢山の峠道を越えてきたので、決してラクな旅ではありませんでした。

それでもひたすら大分県へ向かって走り続けて10日間、ついに本州と九州を結ぶ関門トンネルに到着。

関門トンネルを抜けて九州へ入ったときの感動は今でも忘れられません。

この日の天気はあいにくの雨。
これが最後の試練なのかと。

それでも関門トンネルを抜けてからも走り続け、とうとう出発10日目にして、ケガなく無事に大分県の祖父の家に到着しました!

祖父もとても喜んでくれていました。

スーパーや飲食店へ行く度に、祖父が店員さんに「孫が東京から自転車で来てさ~」な話をしていました(俺としては少し気恥ずかしさがありましたが…笑)。

でも本当に
「自分の力でここまで来たんだ」
と改めて感じましたね。

おわりに

これが俺のチャリダー歴です。

6年間の学生時代に走った距離は30,000kmを超えていました。
走った都道府県は1都1道2府35県の39都道府県

卒業旅行を終え社会人となってからはバイクの免許を取ってライダーに転向
あれから自転車での旅はしていません。

確かに自転車からバイクになると『自分の身体がエンジン』ではなくなります。
自分の力で、という実感は薄れます。

それでも、自分が旅先に向けてハンドルを握ることや、雨や風を感じて走ることは自転車もバイクも同じ。
バイクになってもこれまで通り色々な場所を旅するということに変わりはありません。

これまでの経験を元にこれからも多くの旅し、少しでも自分の力で色々な場所に行くことは楽しいということを伝えていきたいと思っています。


社会人になってからライダーに転身した話はこちら。

30,000kmチャリダーからライダーに転身した話