みなさんこんにちは。かたぴです。
社会人5年目で会社員を辞め、個人事業主として頑張っていくことにしました。
さて、先日、以下のようなツイートをしました。
相手とのコミュニケーションが面倒だからといって、相手に手を上げる、声で威圧する、脅すなどの『怒りの感情』に安易に頼っちゃダメだよ
大前提として、他人は自分の思い通りにはならないと思わないとね
関係を壊してはいけないと思う相手なら、時間と労力をかけて、じっくり対話していく必要がある
— ????????????かたぴ@時間的自由の探求者 (@katapi1103) December 8, 2019
今日は上記についてお話していきましょう。
怒りの感情に頼らずとも、コミュニケーションは取れるんですから。
怒りの感情は安直な手段
コミュニケーションを取ることの難しさ
コミュニケーションの本質は合意形成です。
誰かと誰かが意思疎通して何らかの合意を形成できたとき、初めてコミュニケーションは意味を成します。
その意思疎通のための手段として、言語を通じた対話や、身振り手振りなどのジェスチャー、表情があるわけで。
・・・ただ、相手とコミュニケーションを取るのは難しいですよね。
こんな感じに。
- 自分の伝えたいことを上手く言語化できない
- 相手がどうしても分かってくれない
- 説得するための理由やデータが足らない
かたぴ
怒りの感情の例
先ほどのコミュニケーションの難しさにしびれを切らして、手短に相手を自分の思い通りにしたいと思った人がどうするか?
そこで使われるのが怒りの感情です。
例えば、あなたは以下のようなことをしていませんか?
- 相手を殴ったり蹴ったりする
- 相手にモノを投げつける
- 机を思いっきり叩く
- 大きな声を上げて相手を威圧する
- 相手を脅す
- 感情的になって泣く
「自分もそれやっているかも!」という人。
それは今すぐにやめましょう。
他人に対して怒りの感情を使う人は未熟だと思っています。
自分の思い通りにしたいがために、相手を考えないコミュニケーションの取り方をしているのですから。
かたぴ
間違いなく良い気はしないはずです。
他人は自分の思い通りにはならない
大前提として、他人は自分の思い通りにはならないと認識しておく必要があります。
他人を無理やり変えようとなんてしたら関係に亀裂が生じますから。
まず、世の中にこれだけ人が生きていれば価値観が違うのなんて当たり前。
昔のように画一化された世の中でもありません。
価値観の違いは積極的に認めていきましょう。
また、あなたは誰かの期待を満たすための存在ではないはずです。
逆も同様で、誰かはあなたの期待を満たすための存在ではありません。
相手が自分の価値観と違っていたり、期待が満たされなかったからといって、怒りの感情を使っていい理由にはなりませんよ。
指導や指摘するにしてもマウントは取らないように
ここまでで、怒りの感情を使うなと書いてきました。
もちろん指摘するなとまでは言っていません。
子どもが危険なことをしていたり、職務遂行上の理由だったりで、相手に指導や指摘をする必要はあると思います。
ただ、指導や指摘をする上で、怒りの感情を使ったり、マウントを取るような言動はしないように。
例えば、仕事の仲間が何か問題を起こしたとしましょう。
もし、問題を起こした原因がその人があることを知らなかったためだったとしたら。
このとき、怒りの感情を使って叱る人がいます。
「なんでこんなことも知らないんだ!」
「お前何やってんだよ」
のように。
なんと不条理なんでしょうか。
叱るときに相手にマウントを取って何か良いことあるんですかね。
叱る側にとって自己満にしかなりませんし、叱られた側は良い気はしないでしょう。
人間知らないことのほうが圧倒的に多いですよ。
人間誰しも知らない状態から始まるのですから、知らないことはただ教えてあげればいいんです。
怒りの感情を使って相手を攻撃しながら教える必要なんてどこにもありません。
かたぴ
往々にして常識だろというのは世の中の常識ではなく私にとっての常識、なのですから。
まとめ
- コミュニケーションを取るのは難しい
- 怒りの感情はコミュニケーションをすっ飛ばす安直な手段
- 他人は自分の思い通りにはならない
- 価値観なんて違って当然だし、相手は自分の期待を満たすための存在でもない
- 指摘するにしてもマウントは取らないように
相手とのコミュニケーションで怒りの感情を使うと色々ラクなこともあるでしょう。
しかしラクな反面、自分の人としての未熟さを相手に露呈することにもなります。
怒りの感情を振りかざして接してくる未熟な人を尊敬できるでしょうか?
そんな人から言われた正論は、仮に正論だとしても反発したくなりませんか?
我々には会話・身振り手振り・表情といった他人とのコミュニケーション手段があるんですよ。
関係を壊してはいけないと思う人ほど、時間をかけてでも相手に寄り添って対話をしていく必要がある、そう思いませんか?