みなさんこんにちは。かたぴです。
人と接する上では、対等な人間として接することに強いこだわりをもっています。
さて、先日、以下のようなツイートをしました。
【信用はあっても信頼できない人】
・頭ごなしに否定する人
・知らないことを攻める人
・マウントを取りたがる人
・力や権力に訴える人
・相手の話を聴かない人
・人の嫌がることを押し付ける人つまるところ、「相手を対等な人間として見ているかどうか?」に尽きます。
— かたぴ@通勤時間は徒歩3分 (@katapi1103) 2019年7月5日
・頭ごなしに否定する人
・知らないことを攻める人
・マウントを取りたがる人
・力や権力に訴える人
・相手の話を聴かない人
・人の嫌がることを押し付ける人
つまるところ、「相手を対等な人間として見ているかどうか?」に尽きます。
今日は上記についてお話していきましょう。
他人を自分の思い通りにしてはいけませんよ。
相手を『対等な人間』として見ない人たち
この世に生まれた以上、他人と関わることなく生きていくなんていうことはできません。
人間社会で楽しく幸せに生きていく上で、少しでも多くの人と信頼関係を築いておくに越したことはないです。
どんなにすごい実績を持っていても(すなわち信用があったとしても)、信頼できない人とは深い関係になることはおろか、関わろうとさえ思えなくなってしまうんですよ。
信頼を失う行動。
俺には到底理解しかねるのですが、信頼を失っていいことなんて無いと思うんですよね。
俺が思う信頼を失っていく人たちの特徴について見ていきましょう。
頭ごなしに否定する人
頭ごなしに否定されて嬉しい人なんていません。
人のやることなすこと、あらゆることを否定する。
多様な考え方や価値観があることを受け入れられない。
自分の考えや意見がすべてだと思っているタイプです。
異なる考え方や価値観の人と分かるとすぐさま攻撃してきますよ。
人があることを好きだったり興味を持ってやっていたりすることにはたくさんの背景や経緯があります。
ちょっと話したくらいじゃその背景や経緯なんて分からないじゃないですか。
相手の考えの一部を見ただけですぐに否定するとか、相手の話を聴く気ないですよね?
頭ごなしに否定する人とは関係や連絡を断つことをオススメします。
誰だって自分が好きでやってることや大切なことを頭ごなしに否定されたら嫌じゃないですか。
何よりそういう人はつまらない。
自信を失ってメンタルをやられる原因にもなるので、頭ごなしに否定する人と関わったところで良いことありませんよ。
かたぴ
知らないことを攻める人
人の知っていることなんてほんの一部。
世の中には知らないことが圧倒的に多いんです。
知らないことを理由に相手をバカにしたり下に見たりする人がいますが、それはあまりに理不尽だと思いませんか?
誰しも人は知らないことが圧倒的に多いんですから、知らなかったならそこから学べばいい。
知っている人がすべきことは、知らない人に対して教えてあげること。
相手がより良い状態になれるよう、対等な人間として教えてあげるだけです。
攻める必要なんてどこにもありませんよね?
かたぴ
分からなかったら素直に聞けばいいんです。
マウントを取りたがる人
マウントを取りたがる人の背景は自尊心が満たされていないからだと思っています。
相手を攻撃したり、下に見たりすることで相手を自分より格下扱いする。
自分の格が上がらなくても、相手を下げてしまえば相対的に見て自分のほうが格が高くなったように感じる。
・・・むなしくないですか?
相手を尊敬し、思いやり、対等な人間として接する。
自分の強みを他者のために活かした結果、貢献感が得られる。
これだけで自尊心なんて十分満たされますよ。
そもそも相手を攻撃したり下に見たりする必要がないんです。
信頼を失う行動をする人は周りから人がどんどん離れていくので、満たされない自尊心を補うための安直な手段としてマウントを取って満足しようとする。
でも、結局マウントを取ることによって信頼が失われ、更に人が離れていく。
負のスパイラルに陥るだけなので、マウントを取るのはやめたほうがいいと思いますよ。
力や権力に訴える人
人間には身振り手振り、そして会話という技術があります。
一言で言えばコミュニケーション。
とは言えコミュニケーションは難しい。
思っていたことを相手に正確に伝えることの難しさはもちろん、納得してもらうためには論理的な根拠も必要となります。
一つの結果を得るために、実に膨大な労力を要するわけですよ。
コミュニケーションというのはとてもコストがかかる行動なんです。
そんなコストに嫌気が差してしまった人。
あるいは論理的に反証されて、相手に納得してもらうことが難しくなってしまった人。
そんな人たちが自分の意見や要望を押し通すために使うのが力や権力と考えます。
以下のような行為は力や権力で相手をねじ伏せる典型です。
- 大声で威圧する
- 暴力を振るう
- 脅迫する
- 机を叩く
これらの行為によく頼っている人を見る度に「未熟だなぁ」と思ってしまいます。
力や権力に訴える人に、相手を対等な人間として接しようという姿勢は見えません。
コミュニケーションに労力がかかるといって、力や権力に訴えて相手をねじ伏せようとするのを正当化するわけにはいきません。
力や権力で押さえつけられた裏には不合理があります。
押さえつけられた側もその力や権力を恐れているだけで、相手そのものを見ていないんですよ。
そんな状態で相手を尊敬したり信頼したりできるでしょうか?
人の嫌がることを押し付ける人
人の嫌がることを押し付けて楽しいのは押し付けてる側だけです。
押し付けられた側はたまったもんじゃありません。
逆の立場で考えてみてくださいよ。
自分がされて嫌なことを他人から押し付けられたら嫌じゃないですか?
な〜んも特別なことを言ってるつもりはないですよ。
こんなの幼い頃から両親やじいちゃんばあちゃん、先生から言われてることじゃないですか。
嫌がることをされたら、相手に
「それをやって失敗したりケガしたりしたら責任とってくれますか?お金払ってくれますか?」
と聞いてみましょう。
きっとほとんどの場合
「それは自己責任だから」
と突っぱねることでしょう。
結局、人の嫌がることを相手に押し付けたところで、相手がどうなろうが知ったこっちゃないんです。
そんな態度に、相手を対等な人間として見ようとなんて微塵も感じられないですよね。
他人は思い通りになんかならない
他人は自分の思い通りにはなりませんよ。
というか思い通りにしようとなんかしたら関係に亀裂が入るだけ。思い通りにならなかったからといって相手を否定したところでどうにもならない。他人は自分のおもちゃでもマリオネットでもありません。
あなたは相手を『相手のまま』に見ようとしてますか?
— かたぴ@通勤時間は徒歩3分 (@katapi1103) 2019年7月5日
不思議でしょうがないのですが、信頼を失う行動をする人って他人が自分の思い通りになると思っているんですよね。
・・・いやいや、何を言ってるんですかって感じ。
他人が自分の思い通りになるわけないじゃないですか。
他人の人生はあなたの人生ではない
他人の人生は他人が決めることです。
あなたが決めることじゃない。
他人が自分の思い通りにならなかったときに
「面白くない」
「つまんねぇ奴だな」
などと発言する人はその典型ですね。
あなたにとってその他人はおもちゃでもマリオネット(操り人形)でもないんですよ?
自分の思い通りになるわけないじゃないですか。
相手を相手のまま対等な人間として見てたら、そんな発言が出てくる余地はありません。
かたぴ
あなたの人生はあなたが決めていいんです。
他人に期待しすぎると疲れる
人間ですから他人に期待してしまうことはあると思います。
「きっとあの人は○○をやってくれる」
「妻(夫)だからこれくらいは分かってくれる」
「これを自分がやったらあの人が○○をくれる」
のように。
でも、先にも述べた通り、他人はあなたの思い通りにはならないんです。
思い通りにしようとしたら関係に亀裂が入ります。
自分が他人に対して勝手に期待して、期待通りにならなかった結果、勝手に疲弊する。
期待なんかしすぎるもんじゃないと思いますよ。
人に期待しすぎず、それでも自分の想像以上のことを誰かがしてくれたら、そのときは大きな感謝の気持ちを相手に伝える。
それでよくないですか?
課題の分離をしよう
常々意識しているのはアドラー心理学でいう『課題の分離』です。
・あらゆる事柄について「それは自分の課題なのか、相手の課題なのか?」を考える
・相手の課題には介入しない相手を対等な人間として見ていない人がやることは、相手の課題に土足で踏み込むようなもの。
— かたぴ@通勤時間は徒歩3分 (@katapi1103) 2019年7月5日
ここまで、相手を対等な人間として見ないことで信頼を失う人の特徴や、他人は自分の思い通りにならないことについて書いてきました。
もちろんそのような行動をしないというだけでも遥かにマシ。
ただ、考えてみるとそれらの本質って、自分の課題と相手の課題を分けることだと思うんです。
このように自分の課題と相手の課題を分けて考えることをアドラー心理学で課題の分離といいます。
課題の分離ができるだけで対人関係の問題は大きく解消されますよ。
課題とは
ここでいう『課題』とは生きていれば遭遇するあらゆる物事や出来事のこと。
- 勉強
- 仕事
- 趣味
- 娯楽
- 人間関係
などなど。
相手を相手のまま対等な人間として見るためには、自分がやるべき課題や決めるべき課題と、他人がやるべき課題や決めるべき課題を見分ける必要があります。
他人の課題には介入しない
アドラー心理学が提唱する課題の分離は他人の課題には介入しないというのが大前提。
対人関係の問題というのは、自分が相手の課題に土足で踏み込んだり、自分の課題に相手に土足に踏み込まれることで起こるのです。
自分がやるべき課題に対して他人に文句を言われたり、頭ごなしに否定されたりする。
逆に、他人がやるべき課題にあなたが過干渉になったり、やめさせようとする。
これらの行動は課題の分離という原則に反しています。
他人の課題には介入してはいけません。
ただし介入しないといっても、課題の分離=放任主義ではありません。
普段から援助できる立場であろうとし、もし助けを求められたら救いの手を差し伸べる、それくらいの距離感でいいんです。
課題の見分け方
「じゃあ課題ってどう見分けたらいいの?」
そんな声が聞こえてきそうです。
その課題が誰のものかを見分けるためには、
「その選択によってもたらされる結末を最終的に誰が引き受けるか」
を考えてみてください。
例えばある仕事を辞めて転職するとしましょう。
この場合、転職をするという課題は誰の課題でしょうか?
もちろん転職した本人の課題です。
仕事環境が良くなろうが、給料が悪くなろうが、すべて転職した本人が結末を引き受けるのですから。
だから、他人が転職した本人に対して文句を言ったり、転職はやめろと静止してはいけないのです。
それらをするというのは課題の分離に反するので。
まとめ
相手と信頼関係を築くために
- 相手を相手のままに対等な人間として見よう
- 相手を頭ごなしに否定したり、力や権力に訴えてねじ伏せたりするのはダメ
- 他人は思い通りにはならないし、他人の人生はあなたの人生ではない
- 他人は自分の期待を満たすための存在ではないので期待しすぎない
- アドラー心理学でいう課題の分離(自分の課題と相手の課題を分けて考える)が大事
相手を自分の思うように変えようとしないこと。
これだけは肝に銘じておいていただければ嬉しいです。
なお、本文中でも取り上げた、俺も実践しているアドラー心理学の課題の分離については以下の嫌われる勇気という本を読むのがオススメ。
対人関係で悩む人はぜひ読んでみてほしい(全員か!?)
俺も何周も読み直しているほどです。
嫌われる勇気を読んで、更に一歩アドラー心理学を理解したいと思った方は幸せになる勇気という本も読んでみてください。
こちらも何周も読み直しては日常生活で実践しています。
相手のことを相手のままに、対等な人間として見て、信頼し合える関係を築ける人が少しでも増えればいいなって思ってます!