未来の自分は、過去の自分ではなく今この瞬間の自分が作る 〜その気になったら何にでもなる〜

かたぴ

みなさんこんにちは。かたぴ(@katapi1103)です。

自分で言うのもなんですが、自分は自分自身のことを好奇心旺盛だと思っています。
気になったらなんでもやってみたがる性格。

あれもやって、これもやって。
色々と手を出していると周りから言われるわけですよ。

「かたぴは何になりたいの?」
「どこを目指しているの?」

その問に対する自分の回答は何にでもなるですね。

その時々の自分に率直でいたい

ここ最近、自分について思うのは
「一年後はおろか半年後の自分が何してるか分からなくなってきた」
ということ。

分からないといってももちろんポジティブ的な意味でですよ。

この記事の執筆時点では筋トレを頑張っています。
でも半年前から今年は筋トレを頑張ろうと決めていたわけでもないし、そもそも筋トレが生活のメインになるなんて考えてもいませんでした。

それくらい、その時々の自分によってやりたいことや興味あることが変わってます。
熱しやすく冷めやすいタイプと言ったらそうなのかもしれません。

ひとつの事柄に何年も向き続けるのは多分向いてない。
「○○をいつか成し遂げたいんだ!」のような局所的な軸はないんですよね。

逆に、もっと広い意味での軸でいうと
「その時々の自分に率直でいたい」
という思いはあります。

  • そのときの自分が必要だと思ったらやる
  • やる必要がないと思ったらやらない
  • やってたけどやる必要がなくなったと思ったらやめる

ただただシンプルに、そういう生き方をしています。
信頼しているのは過去の自分よりも今の自分なので。

停滞に対する恐怖

人間ですから、ふと過去を振り返ってみて
「あのときの自分はなんでその選択をしたんだろう?」
と思うことはもちろんあります。

でも、考えたってどうにもならないんですよね。
そのときの自分が持っている知識・経験と、やりたいこと・興味あることから、その選択が最善だと判断して行動しただけのことなので。

だから、過去に対して反省することはあれど、後悔することはないんですよ。
経験とその学びが自分をより人として成長させてくれています。

その行動源泉は停滞に対する恐怖でしょうね。

「学びを止めたら人としての成長も止まってしまう」と思っています。
ずっと同じことに固執して、前にも進まず後戻りもできずのがんじがらめ状態は耐えられません。

そのおかげもあってか、年初にかつての旧友たちと1年越しに会うと最近よく
「次何やるの?」
って言われるんですよね。

自分からしたら「次何やるの?」は褒め言葉です。
それくらい色々やってる姿が伝わっているのでしょう。

だから、逆に「お前はいつまでも変わらないねぇ」なんて言われてしまったら、自分にとっては屈辱なんですよ。

「停滞した自分にはなりたくない」
という思いが常に行動を後押ししてくれています。

過去の自分にとらわれない

「過去にこういうことを経験してきたから、自分は○○していきたい」
という人は多いです。

「過去にこういうことがあったから、自分は○○できない」
という人もいます。

どっちが良い悪いという話ではないですよ。
これは個々の価値観に通ずる話なので。

ただ、個人的にはそのどちらでもなく
「過去の自分に縛られる必要はない」
という考えを持っています。

まぁこれまでの話の通り、そのときになって必要だと思ったら過去がどうであろうがやっちゃうのが自分という人間なんです。

だって、過去によって自分の道を狭める必要ってなくないですか?

やってみなきゃ分からんのに。
やってみたら意外と面白いとか自分に向いてるとかあるじゃないですか。

場合によっては新しい道が開けるかもしれない。
そのときの自分の直感や考えは大事にしたいんです。

今この瞬間の積み重ねが自分の人生

やりたいことや興味あることがよく変わる自分だからこそ、長年かけて成し遂げたい人生よりも今この瞬間にやりたいことや大事だと思っていることの積み重ねで作る人生のほうが自分には向いてるんじゃないかって。

んで、ふと自分がやってきたこと振り返る。

あーこのときの自分はこんな考えでこれやってたんだって。
そうそう、こんなこともやってたよねって。

その歩んできた一個一個の出来事をつなげた軌跡が自分の人生。

だから過去がどうだろうか関係ないんですよね。
今の自分が必要だと思ったからやる。

「未来の自分は、過去の自分ではなく今この瞬間の自分が作る」ってね。